学会報第32号

(2015年9月10日発行)

沖縄の資料館の印象

日本法哲学会理事長 亀本洋(京都大学)

今年の三月末、学術大会会場の下見も兼ねて、沖縄に初めて行きました。沖縄戦(1945年3月26日~6月23日頃)の資料館を二、三訪ねました。一番印象に残ったのは、近衛文麿が昭和天皇に敗戦必至と上奏したのに(1945年2月14日)、天皇は「もう一度、戦果を挙げてからでないとなかなか話は難しいと思う」と答えたという件が、いくつかの施設に堂々と展示してあった、ということです。
海軍司令部壕跡にも行きました。「沖縄県民斯ク戦ヘリ」で有名な大田實沖縄根拠地隊司令官発海軍次官宛電文(1945年6月6日)の写し(紙製でだれでも触れるところにあった)も見ました。一部かすれていたりして、よく読めなかったのですが、私の目に真っ先に飛び込んできたのは「鬼畜」という文字でした。海軍陸戦隊のトップは、軍隊の一部が鬼畜のようなまねをやっていたことを後世に伝えようとしたのか、と感心しました。
こちらに帰って、電文に関する資料を、安直ですがインターネットで調べてみました。電文は次のようなものに出ています。『昭和二〇、六 南西諸島方面電報綴』(76-77頁目)沖縄関係資料閲覧室(内閣府沖縄振興局)ホームページから写真で入手可。旧海軍司令部壕のホームページにも、ほぼ同じ(何か所かで違う)ものが出ています。「小さな資料室」のホームページ所収の資料は大変参考になりました。
原本が少なくとも二つはあるようです。もともと、発信者の打ち間違い、受信者の聞き間違い、電波状況の悪さ、暗号解読の間違い等のせいで、一部を正確に翻訳できていなかった可能性が高いと思いますが、暗号をそのまま読んだ(おそらく)カタカナ書きの原テキストと暗号コードが入手不能なので、私には正確なところはわかりません。ウィキペディア「大田実」の項によれば、米軍傍受電報の英文がアメリカ国立公文書館にあるそうです。
ともかく、私が見たいずれのテキストにも「鬼畜」という文字はありませんでした。関連個所を含め、電文の最後の部分(旧漢字は新字体に直した。□は読めない字)を引用しておきます。
是ヲ要スルニ陸海軍□□沖縄ニ進駐以来終止一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セラレツツ(一部ハ兎角ノ悪評ナキニシモアラザルモ)只々日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ□□□□与ヘ□コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形□一木一草焦土ト化セン糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ
私は、括弧内の「兎角」を「鬼畜」と読み間違えていたのです。問題の箇所は、上記『南西諸島方面電報綴』77頁目のページの境目にほとんど隠れており、写真資料からはほとんど判読不可能です。そのページの上部に、だれかが後に読んで(あるいは原テキストを参照して)、その文言を手書きで書いてくれているのですが、その「兎角」に相当する部分の文字は「鬼畜」のように見えないこともありません。また『戦史叢書 沖縄方面陸軍作戦』(防衛庁防衛研修所戦史室、昭和43年1月15日発行、朝雲新聞社)掲載の電文では、問題の括弧部分はないそうです(上記「小さな資料室」による)。また、上記海軍司令部壕のホームページ掲載の現代語訳でも、問題の括弧内の訳はなぜか省略されています。「悪評」という言葉すら隠したいということでしょうか。
いま思い出してみますと、海軍司令部壕跡の資料館にあった私が見た紙は、だれかが白い字で上から書き換えていたようにも思います。施設管理者は、それを承知で放置していたのではないか、と今は勝手に推測しています。ただし、私の見間違えの可能性もありますから、あしからず。
その他の展示物もたくさん見ました。機会がおありになれば、ご自分でご覧になって感じていただくことを希望します。最後になりましたが、沖縄大会へのご参加のほど、どうかよろしくお願いいたします。

  • 学術大会の翌日(11月9日、月曜日)に、「沖縄で「法」を考える――現地視察」と題して、沖縄国際大学、航空自衛隊基地、その他の施設を視察します。詳しくは、『2015年度 日本法哲学会 学術大会・総会 案内』をご覧下さい。