2020年度 日本法哲学会奨励賞 (2019年期)
日本法哲学会は、2020年度日本法哲学会奨励賞を以下の通り決定しました。新型コロナウイルス問題の影響で2020年度の学術大会・総会は開催が延期となったため、授賞式は2021年度の学術大会・総会の際に行なわれます。
著書部門
著書部門 森悠一郎 『関係の対等性と平等』 (弘文堂、2019年2月刊行)
学会奨励賞選定委員会の講評 本書の目的は非常に明確である。それは、主流派の平等論に対して、独自の魅力的な代替案を提示するというものである。さらに、本書の問題意識はたいへん新鮮である。すなわち、平等の問題は、資源の分配だけに関連しているのではなく、スティグマなどを制度化する文化的意味秩序の不正義(誤承認の不正義)を是正する方向にも関連している、というのが本書の問題意識である。 本書は、以上の目的および問題意識を踏まえて、J. ロールズ、A. セン、R. ドゥオーキン、G. A. コーエンなどの従来の代表的な平等主義的正義構想を批判的に検討した上で、E. アンダーソンによる分配的平等主義批判と関係的平等主義を検討し洗練化することによって、アンダーソンの民主的平等をベースに独自に発展させた著者自身の関係的平等主義に基づく平等主義的正義構想を提示し検証するという、画期的な大著である。現代英米圏の多様かつ新しい理論への目配りや、相互関係の緻密な分析は秀逸であった。とくに、これまでの正義論を、通説的理解による分配的正義から、関係性をめぐる正義へと解釈の組み換えを施した点には、極めて高い独自色を感ずる。 本書では第4部において、著者自身の関係的平等主義に基づく正義構想から擁護されうる具体的制度構想が論じられている。平等論外部の問題領域との接点も多く、今後さらに理論的発展が見込まれるところである。以上の理由から、本書は学会奨励賞に値するものと評価された。 論文部門
論文部門 小川亮 「どこまでも主観的な解釈の方法論―規則のパラドックス・暴露論法・説明主義論証」 (『法と哲学』第5号(2019年))
学会奨励賞選定委員会の講評 本論文は、道徳的議論や法的議論において、主観的な政治的選好の押し付け合いではない規範的議論は、そもそも、またいかにして可能なのか、という問いに対し、そのような規範的議論は可能であり、その実現のために、徹底的に信念体系内在的な正当化を追究すべきだと答えるものである。規範的議論の可能性については規則のパラドックスや暴露論法による懐疑論があるが、基礎づけ主義を否定しホーリズムに与する信念体系内在的な正当化に対しては、これら2つの懐疑論は効力を持たない。そして、徹底的に信念体系内在的な正当化においては、価値が客観的に、すなわち心理独立的に実在することが「説明主義論証」によって正当化されるため、この価値に統制された規範的議論が可能となる、というのが本論文の骨子である。なお、この解答は、ロナルド・ドゥオーキンの理論を再構成したものとされているが、著者のドゥオーキン解釈それ自体の擁護は本論文の主題とはされていない。 本論文は、日本における法解釈理論に関する議論に対して、従来とは異なる観点からの提言を行うものであり、大いに示唆的である。もっとも、テーマが非常に大きなものであるために止むを得ない面があるとはいえ、論証がやや図式的で強引に見えることも否めない。とりわけ本論文の積極的主張、すなわち信念体系内在的な正当化における価値の実在の正当化可能性については、より詳細かつ丁寧な論述が期待されるところである。 とはいえ本論文は、法哲学の根本問題の1つに正面から取り組み、自らの主張を構築して解答を与えた、きわめて野心的な作品である。様々な理論家の理論の是非を手際よくまとめながら論述を進めていく手腕も、大変見事である。以上の理由から、本論文は学会奨励賞に値するものと評価された。
論文部門 菊池亨輔 「決定の発生と法規範による理由づけ(一)(二)-ヘルマン・イザイの法的思考論」 (『法学論叢』第184巻1号、第185巻4号、2018年、2019年)
学会奨励賞選定委員会の講評 本論文は、ヘルマン・イザイの法的思考論に依拠し、決定と法規範との関係について論じるものである。従来の評価では、イザイの立場は自由法学として理解されがちであるのに対し、本論文においては、イザイの立場を、三段論法を否定し、事案に対する正しい法的判断が判断者の法感情と実践理性から生ずるとしながらも、同時に、法規範を過小評価せず、事案への決定を法規範が事後的に理由づけたものと位置づける。これにより、イザイが自由法学者とは一線を画していることを明らかにしている。また、ヘックの利益法学とイザイの法的思考論との理論的な関係についても、正確に位置づけることを試み、イザイとヘックのそれぞれの理論と両者の論争を原典に忠実に紹介しており、イザイ理論全体について、テキスト内在的に丁寧に読み解き明らかにした論文として評価できる。 とはいえ、問題点もないわけではない。筆者が、なぜイザイに着目するのか、なぜイザイが自由法論者でないことがそれほど重要であるのかについて、もう少し丁寧に論証されていれば、イザイの法的思考論の重要性がより読者に伝わったと考えられるし、イザイとヘックの論争が、現在の法理論・法思想にいかなる知見をもたらすかに関する言及も不十分である。また、本論文は、従来の評価とは異なるイザイ理解を示すものであるが、自説と異なる従来のイザイ理解に対しての自説の優位が、イザイのテキストに即して十分に説得的に展開されているかは、疑問がないわけではない。 これらの問題点があるとはいえ、我が国の議論状況の中でもそれほど知られていると言いがたく、取り組む人が余りいなかったイザイの理論について、自由法学とも利益法学とも区別されるものとして捉え、オリジナリティのあるイザイ理解を提示した点で、貴重な業績であることは間違いない。また、イザイが、法実務家としての経験から、法規範と決定との関係について記述した内容を正確に整理・検討し、法学者が法規範を大前提として考えるのに対し、実務家が事案に対して決定をなしてから事後的に法規範によって決定を理由づけるということを明快に示している点も高く評価できる。 以上の理由から、本論文は学会奨励賞に値するものと評価された。 |