学会報第21号

(2010年5月31日発行)

マクロの抱負とミクロの現実――日本法哲学会の未来を開くために

日本法哲学会理事長 井上達夫(東京大学)

 昨年11月に、嶋津前理事長の後を受け、日本法哲学会の理事長職を拝命し、石山文彦事務局長、浅野有紀副事務局長、会計・書記担当の奥田純一郎会員と共に新しい事務局を発足させました。学会サイトの管理については大屋雄裕理事に「局外協力」していただいています。不慣れなため、色々戸惑うこともありましたが、嶋津前理事長および前事務局担当の高橋文彦理事や山田八千子理事の懇切なご指導とご協力により、新事務局体制も何とか軌道に乗り始めています。
 なお、私の勤務先である東京大学の法学部研究室が今春より大改修工事のため最低二年間(前田藩江戸屋敷の遺跡やら弥生式土器やらが地中から出るとか、その他想定外の問題が生じるとさらに長期にわたって)使用できなくなる関係で、学会住所は、慣例に反し、理事長所属先ではなく、石山文彦事務局長の所属先である中央大学法学部に定めさせていただきました。事情をご理解の上、御了承くださいますようお願い申し上げます。
 学会サイトの理事長挨拶では、「立法者の三つの訂正の語句で、[法学の]全文庫が反古となる」という有名なキルヒマンの言葉を援用し、立法の爆発、立法実務の基盤変動、政権交代の活性化という現代日本の置かれた状況が、訓詁学的な「実用法学」の実用性を掘り崩し、立法の「正当性」と立法システムの「正統性」を原理的に考察する法哲学的探究の発展への社会的要請を高めていることを指摘しました。また、現代法哲学の支配的なパラダイムを形成した欧米の指導的な理論家が死去・高齢化する一方で、それに代わりうる大きな影響力をもつ新世代の論客が欧米においても育っておらず、世界の法哲学界はメガコンペティションの時代に突入しており、日本の法哲学界も内なる論争を活性化させ、海外の業績の紹介・展望を超えて新たなパラダイム構築の国際競争に参与する必要があることを指摘しました。
 このような方向への日本の法哲学の発展に、いささかなりとも寄与することを学会運営の指針に加えたいという私の抱負はもちろん変わっていません。しかし、世界と日本のマクロな状況は日本の法哲学のかかる発展を要請しているにも拘わらず、日本の大学における研究教育体制のミクロな状況は、残念ながらかかる発展を阻害する方向に変わりつつあると懸念しています。
 直接的にはやはり法科大学院の影響があります。法科大学院修了者から博士課程進学者を採用することを原則にし、法学研究者養成のための修士課程の門を制度上ないし運用上閉鎖ないし狭隘化した大学は少なくありませんが、法科大学院修了者で博士課程に進学する者は実定法分野ですらいまのところ少なく、法哲学専攻の大学院生の数も減少傾向にあります。また新司法試験合格率の低迷による最近の法科大学院バッシング等の影響で、当初の高邁な理念を捨て、受験指導に焦点を置いて、法哲学を含む基礎法学関連科目の教育を縮減する法科大学院も現れつつあります。若手研究者の要請の問題は深刻ですが、中堅研究者についても、法科大学院(さらに公共政策大学院等の隣接領域の職業人養成大学院)の設立と運営に伴う教育・行政負担の加重で「疲弊」しつつあるということは実定法分野で既に指摘されてきましたが、法哲学を含む基礎法学分野でも無視できない問題になっています。
 問題は法科大学院だけではありません。国や地方の財政逼迫による国立大学法人や公立大学の持続的な人員と予算の削減、少子化等に伴う私立大学の経営難、長期的な基礎研究より短期的なプロジェクトを優先する研究開発資源配分政策などは、法哲学の研究インフラも侵食しています。若手研究者養成の停滞や研究基盤の弱体化は、理科系も含めて日本の大学の研究教育体制全般に見られますが、法哲学・法学が属する人文社会科学分野においては、状況は一層厳しいものがあります。
 やや暗い話をしてしまいました。しかし、明るい未来をめざすには現在の暗い現実を直視し、それへの対処の方途を模索することが必要です。もっとも、現実を過度に暗黒に語ることは現実的ではありません。「事業仕分け」では若手研究者支援を含む学術関連予算の削減も求められたことがメディアでは大きく報道されましたが、最終的に国会を通過した本年度予算では、GCOEなどの大型プロジェクト予算は削られたものの、学術振興会特別研究員事業を含む若手研究者支援事業予算は前年度比で5.8%増加し、さらに若手・女性研究者のための新規の先端的研究開発支援プログラムも500億円規模のものが前年度補正予算に、 400億円規模のものが本年度予算に別途組まれています。このことをメディアが十分報道しないため、若手研究者・研究者志望者の士気阻喪を招いているのではないかとの懸念が、本年4月の日本学術会議総会で、自身も研究者歴をもつ文部科学副大臣鈴木寛氏より示されたので、念のためここで触れておきます。研究助成金の配分方式や成果査定方法など、あるべき学術支援政策に関する見解は分かれるでしょうが、いずれにせよ、将来の研究者の育成を促進することは、経済力のみならず環境・文化・社会システムの保全・改善のための知的基盤を継承発展させるのに不可欠な未来への投資であり、「業界」・「地元」など特殊利益集団への利益供与と同列に論じられるべき問題ではないと思います。
 そうは言っても、研究者・研究者志望者が置かれている現在の全般的状況は決して甘くありません。「カネなどなくても学問はできる」という向きもあるかもしれませんが、研究者は霞を食って生きる仙人ではありませんから、これは既に「食っていける地位」を得ている者が言える傲慢な説教でしょう。しかし、他方、「カネがないから研究ができない」と不平をかこつだけでは、「それじゃ研究などやめて実業に精を出せばいい」という冷たい応答が一般社会から返ってくるでしょう。「雑務に追われて研究の時間がない」という苦言も、長時間労働に耐えている一般勤労者からは「甘えるな」と反発されるでしょう。
 法哲学を日本において今後発展させることが本当にできるのか。それどころか、「日本法哲学会」という法哲学とその関連領域の研究共同体を将来にわたって存続させることができるのか。どちらの問いに対しても、私はオバマ大統領に倣って、“Yes, we can!”と答えたいと思います。しかし、「可能は必然を含意しない」という様相論理の基本原理を想起すべきです。社会の支援なしに研究共同体は存続も発展もできませんが、かかる支援を自明の与件とすることはできません。社会の支援を持続的に調達するためには、私たちは自分たちの研究の意義・重要性についての社会的理解を得られるような優れた研究成果を積極的に発信していかなければなりません。海外の研究の紹介・展望だけでは、もはやそのような理解を得ることは難しいでしょう。日本と世界が直面する諸問題を独創的な視点と議論によって解明する国際競争力のある研究成果を私たちが産出し発信することは、「野心的な目標」というより、私たちの研究共同体のサバイバルが懸かった課題なのです。
 高い抱負の実現を阻害する現実を改革する根本的な方途は、かかる抱負の実現に向けて一歩踏み出す成果をまずは社会に示すことです。それなしに現実への不満を表出するだけでは、私たちの未来は開けないでしょう。