学会報第27号

(2013年5月15日発行)

訂正

学会報27号6頁「日本法哲学会奨励賞への推薦のお願い(2013年期)」について、2行目に「2012年期受賞候補作について」推薦を受け付けるとあるのは、「2013年期受賞候補作について」の誤りです。お詫びして訂正いたします。本ウェブサイトに掲載しているものは、修正後のバージョンに差し替えました。

ロナルド・ドゥオーキン追悼

日本法哲学会理事長 井上達夫(東京大学)

巨星墜つ

現代世界の指導的思想家の一人、法哲学者ロナルド・ドゥオーキンが、本年2月14日に81歳で逝去した。「指導的法哲学者」ではなく「指導的思想家」と言ったのは、彼の影響(批判的反響も含めて)が法理論・法哲学を超えて、広く政治哲学・社会哲学・倫理学など現代思想界全体に及んでいるからである。日本の法哲学界にも大きな影響を与えた彼の死を悼むべく、一文を捧げたい。
彼の最初の著書Taking Rights Seriously(邦訳書名『権利論』)初版が刊行された1977年は、私が東大法学部の学部卒助手になり研究者の雛としてよちよち歩きを始めた年である。以来、現在に至るまで自分の研究者人生の全過程において、彼が次々に世に送り出した諸著作から、私は共鳴する場合だけでなく、反発する場合も、強い知的刺激を受けてきた。ドゥオーキンの仕事は、重要な研究対象を我々に持続的に供給してくれただけではない。それは法哲学が法学アカデミズムの周辺でかろうじて命脈を保つ「絶滅危惧種」でも、「無用の長物」でもなく、現代世界の現実的諸問題を真っ向から原理的に考察する先端的にして根源的な思想的営為であるという自覚と自尊を、少なからざる法哲学研究者たちに、少なくとも私には与えてくれた。それだけに、彼の死が私にもたらした喪失感は大きい。
個人的な思い出を少し述べさせていただくと、ドゥオーキンと初めて会ったのは、日本法哲学会とIVR日本支部とが国際学術交流事業たる神戸レクチャーの最初の講師として彼を日本に招いた1990年である。若かりし嶋津前理事長と私とが成田空港までドゥオーキン夫妻を迎えに行き、都心のホテルに向かうタクシーの車中で親しく議論する機会を得た。2002年春学期にニューヨーク大学法科大学院に客員教授として私が招かれたときは、残念ながら彼は滞英中で会えなかったが、2007年にアテネで開催された国際憲法学会世界大会の「立憲主義が直面する脅威」と題する全体会議で、彼と同じパネルに並んで報告する機会を得た。会議後の立ち話で、普遍化不可能な差別の排除としての正義概念の規範的意義を強く解釈する私の立場を説明したところ、彼は普遍化可能性の規範的制約力の限界に関わるものとしてヘアーによって提起された「狂信者」問題を鋭く指摘し、これに関して議論したことを昨日のことのように鮮明に記憶している。
また2009年には、オックスフォード大学で開催されドゥオーキンが基調報告をしたリベラリズムの多様性と射程に関する国際シンポジウムに私もコメンテーターとして招かれ、友誼をさらに深める機会を得た(この会議の報告と討議の内容は後にオックスフォード大学から非売品として刊行されたLiberalisms in East and Westと題する紀要に再現されている)。草稿なしに手書きの簡単なメモだけで、しかもそのメモすら見ずに、録音を活字化すればそのまま論文として公表できそうな見事な講演をするという彼の超人的能力は有名で、これまで多くの機会に多くの人々を驚かせてきたが、既に喜寿に達していたこのときもまた、彼はこの恐るべき能力を発揮し、参加者を感嘆させた。フロアーから発言したオックスフォード大学教授マイケル・フリーデンが、ドゥオーキンに対し、現代思想の発展過程に既に大きな足跡を残している彼の業績を称えるためのジョークとして、「あなたは既に歴史的存在(a historical entity)だ」と言って、みなを爆笑させたが、このジョークが4年後に文字通りの意味をもってしまうとは、その時は誰も予想できないほど、ドゥオーキンは溌溂としていた。この時の印象を実証するかのように、2011年には法哲学・政治哲学・道徳哲学の包括的統合をめざす彼の野心的な大著『ハリネズミの正義(Justice for Hedgehogs)』が刊行され、傘寿を前にしてなお衰えぬ彼の思考力と健筆振りを慶んだ。このような近年の彼の精力的活動を知るがゆえに、白血病によるその突然の死の報道から私が受けた衝撃は大きい。
なお、山田卓生教授からのご教示により最近知ったことだが、ドゥオーキンは『ハリネズミの正義』の後にさらに、『神なき宗教(Religion Without God)』と題する著書の原稿を書いており、その遺稿が本年中にハーヴァード大学出版から刊行される予定で、その第1章からの抜粋が、The New York Review of Booksの2013年4月4日号に掲載されている。宗教論というテーマは自己の死を意識して彼が選んだのかもしれないが、この抜粋に見られるのは、死を前にした実存表白などではなく、『ハリネズミの正義』で提示された実践哲学の解釈的統合という立場を宗教概念の再定義に応用する試みで、彼が死の直前まで、自己のプロジェクトの発展に向けて精力的に仕事をしていたことが分かる。彼が成就感をもって死を迎えたのか否かは分からない。しかし、病魔に屈していなければ、この遺稿の後にもドゥオーキンの思想の更なる展開が見られたであろうと思うと残念でならない。
 個人的な思い出にも立ち入ったが、ドゥオーキンの死に喪失感や衝撃を感じるのは私一人ではないだろう。彼に対して私以上に批判的な姿勢をとる人々の間にも、「叩き甲斐のある重要な論敵を失った」という喪失感や、「闘争的敬意(agonistic respect)」に根差す惜別の感は多かれ少なかれあるだろうと推察する。しかし、もちろん個人の感情的反応が問題なのではない。重要なのは、法・道徳・政治の根本問題に関する我々の思考を牽引し、挑発してきた彼の死が、我々にとって甚大な知的損失だということである。

哲学的遺産

この知的損失の大きさを示すために、ドゥオーキンの全業績を展望し批評することは、もちろんここではできない。法哲学のあり方、さらには実践哲学全般のあり方について我々に再考を迫る彼の根本的な問題提起だと私が考える点についてだけ、ごく簡単に触れておきたい。
ドゥオーキンと言えば、平等基底的リベラリズムの代表的論客というイメージが多くの人々の念頭に先ず浮かぶだろう。実際、彼はこの立場から、功利主義・リバタリアニズム・共同体論などを批判し、アマルティア・セン、ジェラルド・コーエンなど平等志向的な他の重要な論客とも「何の平等か」をめぐって理論的次元で論争しただけでなく、被差別少数者の人権、思想表現の自由、社会保障制度、生命倫理などに関わる具体的・現実的諸問題についても「公共的知識人(a public intellectual)」として積極的に発言した。規範的・実践的問題について常に自己の立場を旗幟鮮明にし、時の政府の政策や重要事件における司法の決定にも果敢に批判の論陣を張る彼のこのような姿勢に対しては、米国におけるリベラル左派が支持する政策パッケージを結論先取り的に前提し、それを正当化するために哲学的議論を操作する悪しき意味でのイデオロギー的言説だというような趣旨の批判が、ロバート・ボークのような保守派憲法学者や、法と経済学の大御所リチャード・ポズナーらによってなされている。しかし、ドゥオーキンを単なる党派政治的イデオローグとして片付けるのは不適切だろう。彼の党派的立場が彼の哲学を規定しているというよりもむしろ、彼の哲学が彼に論争的価値判断へのコミットメントという意味での党派性を引き受けさせているというべきだからである。これに関して多少敷衍しておこう。
法哲学的思考のあり方について、彼は「外から内へ(outside in)」の思考から「内から外へ(inside out)」の思考への根本的転換を提唱した。法実践の外部に、この実践とは独立に措定された何らかの認識論的あるいは存在論的テーゼに基づいて、法実践を相対化・恣意化したり、逆に「基礎付け主義(foundationalism)」流に確証しようとしたりする立場、すなわち価値相対主義のような「外在的懐疑論(external skepticism)」や超越的自然法論は、「外から内へ」思考の典型として、その自己論駁性等のゆえに斥けられる。これに代えて彼が擁護する「内から外へ」思考とは、法実践に参加者としてコミットする人々が、この実践の「要諦(the point)」、すなわちこの実践の存在理由をなし、それに理解可能性と支持可能性を付与しうる価値を、この実践の内部から「解釈(interpretation)」によって再構成する試みを通じて、この実践の哲学的自己理解を深化発展させる営為である。かかる法実践の要諦たる価値についての最善の解釈が何であるかはきわめて論争的な問題であるが、「外から内へ」思考のように、実践超越的な観点から、かかる価値解釈論争を外在的懐疑により無意味として一蹴したり、基礎付け主義的正当化による最終的解決で終焉させたりすることはできない。法実践の要諦についての価値解釈論争は法実践そのものを構成し発展させる営為として不断に続行されざるをえない。「純一性としての法(law as integrity)」というドゥオーキンの法概念論的立場の根底には、法哲学的思考の転換に関する彼のこのような視点がある。
かかる視点からすれば、ボークやポズナーらもまた、法実践に参与する限り、中立的な高みから取り澄ましてドゥオーキンの「党派性」を批判して済ますことはできず、己れ自身の党派性を自覚して、明示化し、自己の立場がなぜ法実践の最善の理解といえるかを、規範的議論によって証示する責任を負うのである。興味深いことに、ドゥオーキンの「純一性としての法」の理論に対する最大の批判者の一人である批判的法学研究運動の指導者ロベルト・ウンガーも、「内から外へ」思考への転換を唱える立場は共有している。ウンガーは価値相対主義のような「外在的懐疑」には依拠せず、法実践自体が対立競合する党派政治的イデオロギーに引き裂かれた「根源的矛盾」を呈していることを根拠に、一つの整合的な政治道徳理論が法実践全体の最善の正当化理論を提供できるとする「純一性としての」法の観念を斥けており、ドゥオーキンの言う「内在的懐疑(internal skepticism)」の立場をとる。もっとも、ドゥオーキンにとっては、「内在的懐疑」は真剣に受け止めるべきだが、競合する政治道徳理論のいずれも他より良き正当化を法実践に与ええないと言えるか否かは、様々な法的問題についての競合する判断の比較検討を積み重ねた規範的議論によって論証されるべき結論であって、法実践の根源的矛盾を十把一絡げ的一般化として予め措定するのは「内在的懐疑」を偽装した「外在的懐疑」である。
生前最後の著書『ハリネズミの正義』において、ドゥオーキンは「内から外へ」思考が含意する実践解釈的アプローチを、法概念だけでなく、正義、平等、自由、民主主義、「よく生きること」など政治的・道徳的・倫理的な価値理念一般の解明に適用している。また規範倫理学へのメタ倫理学の還元という、この著書の哲学的に最も論争的な主張も、価値判断から独立した認識論や存在論によって価値判断の正当化可能性を論じる態度を「外から内へ」思考の一形態として斥け、「内から外へ」思考を貫徹する試みと解しうる。
なお、実践内在的な価値解釈と言うと、自己のリベラルな正義構想の哲学的妥当要求を放棄して、立憲民主主義社会の公共文化に内在するという「重合的合意(overlapping consensus)」に自己の正義構想の文脈化された支柱を求めた後期ロールズの政治的リベラリズムの立場と似ているように見えるかもしれないが、ドゥオーキンの立場はこれとは決定的に異なる。彼にとって、実践に内在するとは、ロールズのように不在の合意を虚構することで自己の実践解釈が孕む論争的な哲学的コミットメントを隠蔽することではなく、実践の要諦たる価値の理解の哲学的論争性を直視し、この論争に当事者として参加し続けることである。実践のリベラルな解釈は「政治的」な合意として自己を偽装すべきではなく、論争的な価値判断として哲学的論争の闘技場の中で擁護されなければならない。
ドゥオーキンはさらに進んで、諸価値の通約不可能性を説く価値多元主義を斥けるために、正義と善、自由と平等、民主主義と個人・少数者の人権など、競合する諸価値を解釈によって予定調和化させようとしているが、これには私は批判的留保をもつ。しかし、実践の要諦をめぐる価値解釈論争の不可避性を直視し、これを引き受ける「内から外へ」という彼の哲学的姿勢は、後期ロールズを含め現代思想に蔓延する脱哲学的文脈主義の病理と欺瞞を克服する上できわめて重要であると私は考える。ただ、脱哲学的文脈主義を批判するなら避けることのできない「世界正義(global justice)」の問題に、ドゥオーキンが生前刊行された著作ではほとんど触れていないのが残念であるが。
ドゥオーキンのおかげで、法哲学は面白くなった。法哲学者にとってだけでなく、法実践の具体的局面に関わる実定法学者や法実務家にとっても、より抽象的・一般的な価値原理の問題に関わる政治哲学者や倫理学者にとっても、法哲学が面白くなり、半分枯れかけていたこの学問が元気になったと思う。彼の死後、法哲学はどうなっていくだろうか。彼自身が2006年の著書Justice in Robes(邦訳書名『裁判の正義』)で伝えるところによると、現在のオックスフォード大学法理学担当教授ジョン・ガードナーに対し、ドゥオーキンが「法哲学は面白くなければいけない(Legal philosophy should be interesting.)」と言ったら、ガードナーが激昂して「そこがあなたの困ったところだ(That’s your trouble.)」と言い返したという。ドゥオーキン以後の世代の欧米の法哲学者に、再び瑣末化・密教化する傾向が少なからず見られるのではという懸念を実は私も抱いている。ドゥオーキンの哲学的遺産を批判的かつ発展的に継承して、法哲学をさらに面白く、元気にするような独創的研究を、日本の研究者に、特に若い世代の方々に期待したい。