2012年度学術大会(終了)
国境を越える正義
―その原理と制度

日 程:2012年11月10日(土)・11日(日)
場 所:関西学院大学・西宮上ヶ原キャンパス
     (兵庫県西宮市)

事務局より緊急のお願い

会員に向け郵送した学会案内に同封した返信用はがきに、当日(1日目・2日目)の弁当の要否に関する確認欄を設け忘れました。この点に関する確認の往復はがきを別途緊急に郵送いたしましたので、弁当手配の必要な方はできるだけ当該葉書によりご連絡ください。

なお会場校より、近辺には食事を取れる場所などが少ない旨、注意を受けております。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。

統一テーマ「国境を超える正義―その原理と制度―」について

大会委員長 石山 文彦(中央大学)

 ロールズの『正義の理論』出版から半世紀を経るなかで現代正義論はさまざまな展開を見せてきたが、その一つとして近年注目を集めつつあるのがグローバル正義論と呼ばれる一群の議論である。本企画ではこれらの議論につき、まだ必ずしもその全体像が紹介されているとはいえない現在の議論状況を確認しつつ、いくつかの主要な正義構想について、それを支える思想的基盤とその具体化のための制度構想とを検討し、グローバルな正義に関する諸理論の可能性・妥当性を探ることとしたい。

1.グローバル正義論の特徴

 グローバルな正義の名で論じられている主題は、テロとの戦い、民族紛争、破綻国家の存在、難民の発生、絶対的貧困、地球環境問題、金融危機、労働力の移動など、細かく見れば多岐にわたるが、概括すればそれらの多くは、先進国と途上国の間の経済格差をめぐる問題群と、国家による武力行使の正当性をめぐる問題群のいずれかに分類できる。これらの問題群はいずれも、それ自体としては必ずしも新たなテーマというわけではない。たとえば、前者については第二次大戦の終結以来「南北問題」が論じ続けられていることが、後者については正戦論にさらに古い歴史があることが、それぞれ想起できる。しかし現在では、グローバル化の急速な進行により経済的弱者の脆弱性はますます高まっているし、国家間の戦争ではない「人道的干渉」や「テロへの戦争」のような武力行使をいかに規律すべきかが大きなテーマとなるなど、従来の理論では対応の困難な地球規模の課題が噴出している。グローバル正義論は、こうした新たな実践的課題に応答しようとしているのである。
 グローバル正義論は、その理論としての性格からも特徴づけることができる。すなわちグローバル正義論は、現代正義論の理論的蓄積を踏まえつつ展開されており、従来主として国内社会を念頭において展開されてきた現代正義論が、自らの含意を探りながらその射程を拡大させてきたものと見ることもできるのである。現代正義論は、ロールズの当初の理論に見られるように、主として国内社会を念頭において展開された。しかし、リベラリズムが道徳的個人主義を受容しているとすれば、国内社会に限定した問題設定自体は決して自明なものではなく、リベラリズムはむしろコスモポリタニズムの立場に行き着くのではないかとの疑問が生じるのは自然である。ロールズの『諸国民の法』はこの疑問に対する彼の応答であるが、この疑問をめぐる理論的応酬が、グローバルな正義に関する議論を巻き起こす一つの重要なきっかけとなった。また、コミュニタリアニズムの論者の一部も武力行使の正当性や人権の普遍的妥当性などについて論じており、そこでの主張が国内社会を念頭においた従来の理論とたんに両立するだけなのか、あいは従来の理論をさらに展開させたものなのかを問う余地が生じている。多文化主義においても、国内社会の場合と同様にグローバルな文化的多様性も維持・促進すべきか、そうだとすれば自らのグローバルな正義構想のなかに人権や分配的正義はいかに位置づけられるのかといった問いが考えられる(もっとも、これらについての論議は、一部ではすでになされてはいたものの、必ずしも活発とは言えない)。このように、グローバル正義論は、従来の正義論の理論的基礎を問い直しながら、その射程を拡大してきたと考えられる。またこうした議論の過程では、グローバルな正義に対する懐疑論や否定論も主張されており、それらとの対決もテーマの一つとなっている。

2.グローバル正義論の位相

 グローバル正義論ではさまざまな正義構想が提示されているが、それらはいずれも、それを支える思想的基盤とそれを実現するグローバルな制度構想とを合わせて理解することが必要である。
 前者については、1で触れたように、各々の正義構想を、「コスモポリタニズムあるいは普遍主義」と「ナショナリズムあるいは特殊主義」という対立軸との関連で分析・理解することが有益であろう。人権の根拠・内容・効力の問題も(それ自体は必ずしも新たな問題提起ではないものの)、ひとまずここに位置づけられる。
 後者については、国家主権の絶対性をはたして、またどこまで、そしていかに制約すべきかがひとつの重要な主題であり、各々の正義構想を、「リアリズム」「国民国家」と「理想主義」「世界政府」という対立軸との関連で分析・理解することが有益であろう。また、政治制度だけでなく金融や貿易など経済分野の制度構想も、グローバルな正義構想の一部として位置づけられる。グローバルな制度は、従来の理論枠組において峻別されていた国家の制度と国家の制度とを包含したものとして構想される。「グローバルな市民社会」「グローバルな民主主義」といった標題の下で、グローバルな社会や政治のあるべき姿を描こうとする議論も、必ずしもグローバル正義論と接続された形で行われているとは言えないものの、この問題に大いに関わっている。
 各々の正義構想をこれらの対立軸のなかに位置づけたとき、諸構想は、同一の思想的基盤に立ちながらも制度構想では対立したり、思想的基盤で対立しつつも制度構想では接近したりするであろう。グローバル正義の諸構想は、「リアリズム、特殊主義、ナショナリズム、国民国家」および「理想主義、普遍主義、コスモポリタニズム、世界政府」という二つの両極端な組み合わせを解体し、新たな組み合わせを生み出そうとする試みとして理解することができると思われる。

3.各報告の概要

 このようにグローバル正義の諸構想は相互に複雑な関係にあると予想されるため、どの構想が適切であるかを判断するには、それが応答しようとしている実践的課題から正義の原理、制度構想、思想的基盤にわたる多面的な考察が必要となる。本企画前半の三つの報告は、このうち実践的課題に目を向けることから議論を始め、それを基点として他の位相へと論を進めていく。
 まず取り上げられるのは、グローバルな経済格差の問題である。巨大な経済格差という現実を前に、自発的援助としてではなく正義の要求としてなされるべきことがあるか、あるとすればそれは何か。宇佐美誠会員(東京工業大学)は、この問題に関するグローバル正義論の現状を概観したうえで、先進国市民の責任を否定的に、万人に保障されるべき権利の存在を肯定的に論じる(権利基底説)。宇佐美は、従来の権利基底説に見られる難点を克服すべく、平等論争上の一つの立場である十分主義に着目し、この立場をめぐる諸論点の検討を通じて新たな権利基底説を素描することを試みる。さらに、その議論を踏まえてグローバルな正義への懐疑論にも応答する。
 グローバルな経済格差に関する正義論では、財の移転の当否・適否が論じられるのが通例であるが、はたしてそれで十分なのか。労働力の国境を越えた移動やその規制が示しているように、人の移動も重要な論点ではないか。この点を指摘するのが浦山聖子会員(大妻女子大学)である。浦山は、個人の生に対して国籍や在留資格などがきわめて大きな影響を及ぼしていることを考えれば、グローバルな経済格差に関する正義論は国家の法的メンバーシップのあり方こそを主題とすべきだと主張する。そして、注目すべき提案としてアィエレット・シャカールによる生得特権税(生来の国籍取得への課税)の構想を取り上げ、その検討を行う。
 武力行使の正当性をめぐっては、郭舜会員(北海道大学)が人道的干渉の問題を取り上げる。現行の国際法によれば、いずれかの国で人道危機が発生しても、国連安全保障理事会の認可がないかぎり他国による武力行使(人道的干渉)は違法である。これに対し、こうした武力行使も危機の重大性など一定の条件のもとで許容されるとの主張がなされている。郭は、人道的干渉を支持すべき道徳的理由が存在することを認めつつも、従来の人道的干渉擁護論には「正義の制度的側面」への配慮が欠けていたと批判する。そして、人道的干渉は法の支配と結びつく形で実現されねばならず、しかも、そのために国連とは別の体制を目指すのではなく、あくまで国連体制そのものの改革を目指すべきだと主張する。
 ここまでの三つの報告が実践的課題という「各論」からら議論を始めるのに対し、後半の二つの報告では、それらの実践的課題に通底する理論上の問題に重点が置かれる。
 グローバル正義の諸構想はいかに評価されるべきか。押村高氏(青山学院大学)は、主権国家体制成立以降の歴史を振り返りながら、国家の正義という考え方がなぜ現在困難に直面しているのかを分析し、そこから「真のグローバルな正義」への手掛かりを得ようとする。押村は、従来それなりに機能していた国家間の正義という考え方がグローバル化の進行により行きづまりを見せ、グローバルな正義が芽生えてきた過程を、正義の前提としての相互性の確保という観点から説明する。そしてそれを踏まえ、グローバルな正義は「対話的契機」を含むことにより、国家以外のさまざまな主体を取り込むと同時に西欧の文化的ヘゲモニーを脱すべきであると説く。
 グローバルな正義を探求する議論はこのように隆盛を見せつつあるが、そもそも正義は国境を越えて妥当するのか。宇佐美報告でも部分的に応答を試みられるこの問いに、コスモポリタニズムとナショナリズムの対立関係を参照しながら答えようとするのが、瀧川裕英会員(立教大学)である。瀧川はまず、コスモポリタニズムとナショナリズムをそれぞれ、文化、道徳、政治という三つの位相で区別する。そのうえで、有力説が道徳的コスモポリタニズムに立ちつつも、政治共同体を越えた正義の妥当を否定する(「正義のポリス主義」)のに対し、瀧川は正義のポリス主義を批判し、道徳的コスモポリタニズムを実現するための制度的分業として世界秩序を捉え、そのあるべき原理を追究する。
 最後に、以上の五つの報告に対して、グローバル正義論の総論・各論にわたって精力的に論考を発表している井上達夫会員(東京大学)が、総括的なコメントを加える。

11月10日(大会第1日)
[午前の部]
〈個別テーマ報告〉
  《A分科会》福原明雄・遠藤知子・大澤津
  《B分科会》小林史明・長谷川陽子・清水潤
〈特別講演〉
 小林公(立教大学名誉教授)
 「法学と神学 法と宗教
  ―回顧と今後の研究課題―」

[午後の部]
〈ワークショップ〉
  《Aワークショップ》
   「グローバル状況下での多元的法体制における人権および人権をめぐる法文化
      ―法学・人類学の視点から」
        (開催責任者・角田猛之(関西大学))
   「国際法哲学の可能性―国際法学との対話」
        (開催責任者・郭舜(北海道大学))
  《Bワークショップ》
   「『後藤新平』から読み解く統治の技法と哲学―公衆衛生・植民地統治と法」
        (開催責任者・鈴木慎太郎(愛知学院大学))
   「法と科学の不確実性―「科学裁判」から考える司法の正統性」
        (開催責任者・吉良貴之(常磐大学嘱託研究員))
〈総会〉
[懇親会]

11月11日(大会第2日)
〈統一テーマ報告〉
 石山文彦(中央大学)
   統一テーマ「国境を超える正義―その原理と制度」について
 宇佐美誠(東京工業大学)
   「グローバルな経済的正義」
 浦山聖子(大妻女子大学助教)
   「グローバルな分配的正義と国家のメンバーシップ」
 郭舜(北海道大学)
   「国境を超える正義と国際法」
 押村高(青山学院大学)
   「グローバル化と正義―主体、領域、実効性における変化」
 瀧川裕英(立教大学)
   「コスモポリタニズムと制度的分業」
 井上達夫(東京大学)
   「コメント」
シンポジウム「国境を超える正義――その原理と制度」
   司会 石山文彦(中央大学)・那須耕介(京都大学)

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