2009年度学術大会(終了)
リスク社会と法

日 程:2009年11月14日(土)・15日(日)
場 所:関西大学 (千里山キャンパス)

本統一テーマの趣旨

大会委員長 中山竜一

 「リスク社会」という表現がしばしば耳にされるようになって久しい。この言葉は、地球温暖化をはじめとする環境危機、BSE、 SARS、新型インフルエンザ騒動のような食品衛生や健康をめぐる諸問題、グローバル化の進展とともに不安定化する世界経済、国際テロや犯罪のボーダーレス化等々、多様な文脈で用いられるが、共通するのは、予測不可能な新たなリスクが出現し始めた結果、M・ウェーバーを範とするかつての近代化論の想定とは逆に、知識の増大がかえって不確実性を増大させつつあるという意識、そして不安である。
 文明論的な視座からすれば、法はつねに様々な「危険」に対処すると同時に、様々な「不運」の結果を人々に割り振るための制度的な手だてとして機能してきたと言える。ただ、ある時点から法は意識的に、「リスク」の予測と配分という視点からそれを行い始めたのではないだろうか。もちろん、こうした法制度史の捉え方それ自体、思想史的検証を必要としているが、仮にこうした捉え方が許されるなら、「リスク社会」において法が直面しつつある新たな事態は、次のような仕方で描き出すことができるように思われる。すなわち、被害の甚大さや波及効果の見通しが立たないような新しいタイプのリスクの出現により、リスク計算が困難となり、それゆえ、リスクに基づく費用=便益計算にはこれまでのように全幅の信頼を置くことができなくなった結果、法制度はもはや、これまでのように予測可能性を担保し、確実性をもたらすものではなくなってしまったのではないかということ、そして、「安全」や「安心」──すなわち、広義の「セキュリティ」を直ちに保証してくれるものではなくなりつつあるのではないかということである。
 このように、「リスク社会」という新たな現実の下で、法をめぐる制度と思考は大きく変質しつつある。あるいは、こうした時代診断がたとえ勇み足であったにせよ、「リスク社会」という言葉をインデックスとすることによって、初めて掬い上げることのできる新たな問題群は、多くの法分野で見出すことができる。たとえば、そのような問題群には次のようなものがある。

 (1) まず、「リスク社会」では、立法や公共的決定における費用=便益計算の地位が相対的に低下し、それにともない、テクノクラートによる決定から、開かれた情報に基づく、ステイク・ホルダー間の民主的な「討議」の重要性が高まりつつある。しかし、こうした方向とは裏腹に、予測不能なリスクに対する人々の「恐怖」を解消するという名目で、過剰な「予防的」介入が正当化されるという危険も同時に存在している。(憲法にかかわる問題系)

 (2) また、「リスク社会」にあっては、「自由に賢明な自己決定を行う主体」としての個人や企業の足場が不確かとなるため、事後的な救済よりも事前の差止の重みが増し、それと同時に、契約法による事前的なリスク配分、不法行為法による事後的な帰責構造の変容、さらには挙証責任の転換が観察される。このように「リスク社会」は、民事法にも根本的な変化をもたらしつつあるように思われる。(民事法にかんする問題系)

 (3) 個人や企業による自由な行為の限界がとりわけ鮮明となるのは、それが環境や人々の健康といった価値と衝突する場合である。予防=事前警戒原」は、まさに環境法の分野で、計算不可能なリスクに対処するための法的な手立てとして誕生し、いまでは国際条約や各国の憲法文書にも書き込まれ、新たな法原理として実定化しつつある。この原則は従来の「未然防止」型アプローチを超え、潜在的な災厄とその原因の因果関係が明確でなくとも、一定の不可逆的な潜在的リスクに対し何らかの施策の実施を要求する。それは科学・産業・経済にいかなる影響をあたえるであろうか。また、このような事前的介入を環境や健康といった領域だけにとどめ置くことができるだろうか。(環境法にかかわる問題系)

 (4) 「リスク社会」における個人は、ある日突然に犯罪被害者となる可能性に敏感である。しかし、失われた「安心」と「安全」への信頼回復のためと称し、予防=事前警戒的な手法を刑事司法にもストレートに持ち込もうとすれば、予防拘禁の濫用や、新技術の利用を通じた過剰なコントロールが、憲法上の人権の諸原理と衝突するといった事態も容易に想像できる(「予防国家」や「敵刑法」をめぐる諸問題)。「リスク社会」における刑事司法は、社会統制の手段としてどのような姿をとるべきであろうか?(刑事法的な問題系)

 (5) テロリズム、伝染病、金融恐慌、等々──「リスク社会」における新たなリスクの多くは、いわば「グローバル化」する傾向を有する。それゆえ、リスク社会における法を考えるためには、国際法の制度や原理にまで足を踏み入れる必要がある。「世界リスク社会」の法は、各国民衆の緩やかな協働の枠組となるのか、あるいは、一元化された世界国家をもたらすのか(国際法・国際政治にかかわる問題系)

 このように「リスク社会」において法が直面する問題群には多様な水準があり、それゆえ重層的な検討が不可欠となる。だが同時に、各法領域における様々な取り組みを、新たな事態に対する散発的な対応として拾い集めるだけで、満足するわけにはいかない。たとえば、リスクに対する「予防」や「事前警戒」といったものが、環境法における場合と、刑事政策や国際政治における場合とでは、全く異なった含意と帰結をもたらすことを考えても、個々の法領域を横断する視点から、概念とその使用の異同を明らかにし、縺れ合った糸を解きほぐすことが必要となる。法哲学の使命の一つは、様々な法実践に対し有用な道具箱を提供することである。、本企画ならびにシンポジウムの目的は、こうした分野横断的な作業のための場所と道具を提供し、新たな協働に向けた最初の一歩を踏みだすことにほかならない。

11月15日(大会第2日)
【午前の部 9:00-12:05】
中山 竜一(大阪大学)
 「リスク社会と法──論点の整理と展望」
愛敬 浩二(名古屋大学)
 「リスク社会における法と民主主義」
平井 亮輔(京都工芸繊維大学)
 「愛敬報告へのコメント」(仮題)
浅野 有紀(近畿大学)
 「リスク社会における私法の変容」
福井 康太(大阪大学)
 「浅野報告へのコメント」(仮題)
大塚 直(早稲田大学)
 「リスク社会と環境法」
松本 充郎(高知大学)
 「大塚報告へのコメント」(仮題)

【午後の部 13:20-17:00】
松原 芳博(早稲田大学)
 「リスク社会と刑事法」
大屋 雄裕(名古屋大学)
 「松原報告へのコメント」(仮題)
瀧川 裕英(大阪市立大学)
 「グローバルリスクと世界秩序」
森元 拓(北海道医療大学)
 「瀧川報告へのコメント」(仮題)
シンポジウム「リスク社会と法」
 司会:酒匂一郎(九州大学)・中山竜一(大阪大学)

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