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統一テーマ「民事裁判における「暗黙知」―「法的三段論法」再考―」について
大会委員長 高橋 文彦(明治学院大学)
法哲学には、周知のように、①法の一般理論、②法価値論(特に正義論)、そして③法律学方法論という三つの問題領域があり、このうち③は法律学的な思考・推論・議論の構造を考察の対象としている。かつてはこの問題領域に対する関心は高く、日本法哲学会の学術大会においても「法思考の問題」「法源論」「法の解釈と運用」「法的推論」「法的思考の現在」といった法律学方法論的なテーマがしばしば取り上げられた。しかしながら、近年はこの問題領域に関して活発な議論が行われているとは言い難い状況にあるように思われる。
それでは、法律学方法論的なテーマは既に論じ尽くされてしまったのであろうか。法律学的な思考・推論・議論の構造は十分に解明されたのであろうか。法学入門の教科書を繙いてみると、いわゆる「法的三段論法」を法的思考の基礎とみなし、これを駆使する能力を「リーガルマインド」の核心的部分として捉える伝統的な説明が、依然として少なくない。しかし、このような旧来の通説は、法的思考における最も重要な部分を捉え損ねているように思われる。「法的思考過程において、結論を左右する核心的作業は、演繹的三段論法の適用が可能となる以前の段階、つまり、大前提と小前提とを相互作用的に確定・形成する段階にみられ、この複雑な総合的判断の積み重ねの過程を形式論理的にとらえ尽くすことは不可能である」(田中成明)という問題提起を正面から受け止め、新たな視角から「この複雑な総合的判断の積み重ねの過程」を地道に解明し、単純な「法的三段論法」モデルを超える法律学方法論を展開することが、今まさに法哲学者に求められているのではないだろうか。
そこで、本企画においては法律学方法論に敢えて焦点を当て、我が国の法実務の現場における「大前提」と「小前提」の相互作用的な確定・形成過程について、「暗黙知」という概念を手掛かりにしながら、新たな理論展開の可能性を探りたいと思う。具体的な進め方としては、考察の対象を我が国の民事裁判に絞った上で、法哲学・実定法学・法実務の第一線で活躍しておられる研究者および実務家に、いくつかの具体的な裁判例を念頭に置きつつ、それぞれの視点から「大前提」および「小前提」の確定・形成過程における「暗黙知」について考察・検討を加えていただき、相互の対話と議論を通じてその明示化・言語化を試みたいと考えている。(なお、本企画でいう「暗黙知」の概念は、「言葉で伝えることのできないもの」(M・ポラニー)という狭い意味に限定せず、「明示化・言語化されていないもの」や「明示化・言語化しがたいもの」も含めて、広い意味でご理解いただきたい。)
1.「大前提」形成過程における「暗黙知」(テーマ1)
本企画の前半では、「大前提」形成過程に関する諸問題を取り上げる。一般に、裁判所は具体的な事件について「法」に基づいて判断を下すものとされている。しかしながら、制定法は「法源」の一つにすぎず、「法的三段論法」の「大前提」は必ずしも制定法の条文そのものではない。したがって、「法」すなわち裁判規準をどこから取り出すべきかが、法源論において重大な問題となる(広中俊雄)。「法的三段論法」の適用が可能となる以前の段階において、「大前提」を形成するべき「法」は、いかにして法源から「発見」あるいは「創造」されるのであろうか。その際に、実定法学者はいかなる非形式論理的な推論や議論に依拠しながら、法規範を確定・形成しているのであろうか。また、裁判官はいかにして法規範を選択・形成し、あるいは場合によっては適用すべき法規範を変更しているのであろうか。その際、認定される事実関係(小前提)と法規範(大前提)との間には、いかなる相互作用が働いており、「大前提」はいかなる「暗黙知」によって導かれ、形成されるのであろうか。
2.「小前提」形成過程における「暗黙知」(テーマ2)
本企画の後半のテーマは、「小前提」形成過程における法的思考である。裁判における事実認定は自由心証主義に基づいてなされており、その心証形成過程は判決文に明記されないため、法哲学者にとっては論じることが困難なテーマである。しかしながら、そこには法哲学的にも興味深い論点が多く潜んでいるように思われる。例えば、紛争当事者が主張する雑多な事実の中から、法律家はいかにして法的にレレバントな事実を抽出するのであろうか。この抽出に際して、「大前提」たるべき法規範との間でいかなる形で「視線の往復」が行われるのか。また、証拠から事実(主要事実・間接事実)を導く過程や、間接事実から主要事実(要件事実)を導く過程は、どのような推論構造をもっているのか。これらの過程において「経験則」はいかなる役割を果しているのか。「経験則」に基づく事実認定は、専門的な法的思考を駆使したプロの仕事であろうか、それとも素人による事実認識と本質的な違いはないのであろうか。
このような事実認定をめぐる諸問題を考える際には、民事裁判の制度的枠組みを押さえておくことが必要であろう。特に、事実に関する資料の収集は弁論主義に基づいて行われるという原則が、重要な意義をもつと思われる。弁論主義のもとでは、当事者の提出する訴訟資料次第で、認定される「事実」も変わり、判決も異なりうる。このダイナミックな対話的思考過程において、「大前提」形成過程からもフィードバックを受けつつ、いかにして「小前提」は確定・形成されるのであろうか。そこには、何らかの法律家特有の「暗黙知」が見出されるであろうか。
3.法の解釈・適用における「あてはめ」と「視線の往復」
上述のように、「大前提」形成過程と「小前提」形成過程は、別個の独立した過程ではなく、相互に密接に関係している。本企画では、この両者の相互作用を考えるための手掛かりとして、「あてはめ」という概念に注目したい。「あてはめ」とは、「大前提」と「小前提」を結びつける作業として捉えられるが、一体何を何に「あてはめる」のだろうか。法を事実に「あてはめる」のだろうか。それとも、事実を法に「あてはめる」のだろうか。前者の「あてはめ」とは法規範の具体化を、また後者の「あてはめ」は法律要件による具体的事実の包摂を意味している。この二つのプロセスの間で生じるフィードバックが、「法発見」プロセスにおける「視線の往復」(エンギッシュ)であり、これはまた、山の両側(すなわち「大前提」と「小前提」)からトンネルを掘る作業にも喩えられる(ラートブルフ)。本企画においては、この論点を独立の報告テーマとはせずに、むしろ民事裁判における「暗黙知」を論じる際の共通の指針として位置づけたい。
4.各報告の概要
本企画の前半においては、上記のテーマ1について、法哲学者・実定法学者・裁判官の3名の方からご報告いただく。まず最初に、亀本洋会員(京都大学)には法哲学者の立場から、法的三段論法の「大前提」形成作業における法学者・裁判官・弁護士の思考の相違に着目しつつ、ハードケースとイージーケースの違いを、「法を事実にあてはめる」という発想と「事実を法にあてはめる」という発想との違いとして解明していただくとともに、フランク図式R×F=Dとの関連で、法と事実の操作について検討していただく。次に、瀬川信久氏(早稲田大学)には民法学者の立場から、「大前提」形成過程における①準演繹的法律論、②帰結主義的論法、そして③法解釈のあり方に関する議論という分類に基づいて、利息制限法超過利息に関する諸判決に現れる議論を分析していただき、民事裁判における議論のあり方を、「言語化された表」から「言語化されていない裏」に向かって探っていただいた後、「法的三段論法」は裁判知のあり方をどこまで捕捉できるのか、その決定的部分を捕捉できない演繹的・準演繹的法律論に法律家はなぜ多大な労力を費やすのかといった問題について論じていただく。そして前半の最後は、村田渉氏(司法研修所教官)に裁判官の立場から、我が国の当事者主義的な訴訟構造のもとで、当事者の主張する事実と当事者の選択する法規範が適合していると認められない例外的な場合に、裁判所が適用すべき法規範の選択・形成にどのように関与するかについて類型的にご説明いただいた上で、なかでも、証拠により認定された事実関係を前提として、結論が逆になるような異なる法規範を選択・適用するのが相当であるような場合について、具体的な裁判例を取り上げながら検討していただき、法規範と事実関係の相互作用的な確定・形成過程に関する「暗黙知」をできる限り「形式知」として明らかにしていただく。
本企画の後半では、上記のテーマ2について、法哲学者・弁護士(会員)・裁判官の3名の方に考察を加えていただく。まず、嶋津格会員(千葉大学)には弁護士資格をもつ法哲学者の立場から、裁判においてどの「事実」を問題にするのか、その事実の確定に際して「暗黙知」はいかに働くのか、使うことが許される証拠の限定という条件のもとで「正しい」事実認定とは何か、さらに弁論主義が支配する民事事件は特殊な構造をもつかといった「前提問題」について論じていただいた後、単称命題と普遍命題、裁判における普遍命題としての科学的法則と「経験則」、「経験則」の命題(言語)化と客観化、「個人的知識」(M・ポラニー)と「自由心証」といった論点について考察していただく。続いて、中村多美子会員には弁護士の立場から、紛争当事者が提示する「生の事実」から法領域と法規範の選択を通じていかにして法的な主要事実が抽出・決定されるか、弁護士はいかにして裁判官が「スジがよい」と「錯視」できるような「小前提」を「生の事実」から構成するか、そのように命題化された事実の立証に際して「経験則」は裁判官の「錯視」にいかなる作用を及ぼすか、また「隠れた事実」の出現はどのような「錯視」を生じさせるかといった問題を検討していただく。最後に、手嶋あさみ氏(前東京地裁判事)には裁判官の立場から、当事者が提出した証拠等に基づく「訴訟法的真実」の追究としての事実認定についてご説明いただいた後、二つの裁判例を取り上げていただき、そこで用いられた「経験則」とこれを用いて行われた事実認定の構造を具体的に明らかにしていただくことを通じて、「経験則」を大前提とする三段論法の集積としての事実認定において、法律家による法的思考特有の「暗黙知」が果たして存在するか否かを探っていただく。
以上の6つの報告に対して、事実認定における「暗黙知」を「形式知」に意識的に組み替えていくことの必要性を主張しておられる加藤新太郎氏(東京高裁判事)、および法的思考に関する法理学的研究の第一人者である田中成明会員(京都大学名誉教授)に総括的なコメントを加えていただく。
5.「裁判例一覧」について
この学術大会案内所載の各原稿において実務家が引用しておられる裁判例は、法哲学者には必ずしも馴染み深いものばかりではない。そこで、実務家の原稿で言及されている裁判例については、大会委員長の私(高橋)と実施委員の山田八千子会員で「裁判例一覧」を作成し、この学術大会案内所載の統一テーマ原稿の末尾に掲載させていただいた。この一覧が、シンポジウムにおける実り多い意見交換のための一助となれば幸いである。なお、この一覧は、学術大会案内で言及された裁判例のみを取り上げており、大会当日に各報告者・コメンテーターが言及される裁判例は、必ずしもこの一覧所載の裁判例に限定されるものではないことをお断りしておきたい。
11月16日(大会第1日)
[午前の部]
〈個別テーマ報告〉
《A分科会》山崎康仕・吉良貴之・橋本祐子・毛利康俊
《B分科会》(なし)・平井光貴・大西貴之・服部寛
[午後の部]
〈ワークショップ〉
《Aワークショップ》
「クィア法理論の可能性を探る」
(開催責任者・綾部六郎(名古屋短期大学助教))
「規範理論と実証理論との対話
―リバタリアン・パターナリズムを手がかりに」
(開催責任者・若松良樹(学習院大学))
《Bワークショップ》
「カントの理性法論と共和主義―グローバリスムの視点から」
(開催責任者・竹下賢(関西大学))
「グローバル化と公法・私法の再編」
(開催責任者・浅野有紀(同志社大学))
《Cワークショップ》
「民事事実認定の実像を求めて」
(開催責任者・小林智(名城大学非常勤講師))
「司法権の独立と司法による自然法の実践
―最近明らかになった砂川事件関連米公文書」
(開催責任者・布川玲子(元山梨学院大学))
〈総会〉
[懇親会]
11月17日(大会第2日)
〈統一テーマ報告〉
高橋文彦(明治学院大学)
統一テーマ「民事裁判における「暗黙知」―「法的三段論法」再考」について
亀本洋(京都大学)
「法を事実に当てはめるのか、事実を法に当てはめるのか」
瀬川信久(早稲田大学)
「民事裁判における法的三段論法の限界と展望―超過利息の判例を素材に」
村田渉(司法研修所教官)
「民事裁判における法規範の選択と形成の手法」
嶋津格(千葉大学)
「民事事件における事実の認定」
中村多美子(弁護士)
「弁護士から見た事実」
手嶋あさみ(最高裁判所事務総局)
「民事裁判における事実認定の構造」
加藤新太郎(東京高等裁判所判事)
「事実認定と法解釈・法適用(総括コメント)」
田中成明(京都大学名誉教授)
「総括コメント」
シンポジウム「民事裁判における「暗黙知」―「法的三段論法」再考」
司会 高橋文彦(明治学院大学)・山田八千子(中央大学)